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大叔母の施設で喋り倒す?<2>

スケジュール的にはかなり無理があったのだが、大叔母の荷物を自立棟から巡介護棟に移せる最後の日だったので、父と叔母と私で本人にも立ち会ってもらって色々と移す。

父は前回も書いたけど大叔母の「詳細な遺言」に従って色々と処分するつもり満々だったのが、私に「遺言は死後のためのもので叔母ちゃままだ生きてるでしょ」と言われ、しかもあとになって本人にも確認したら「●●(父の名)、私まだ生きてるわよ」と言われたのでかなり慌てて、本人に一度立ち会わせて必要かつ高価なアクセサリー(ただし高価なものは巡介護棟には置けないので父が預かる)は回収してあった。

けど「服はまだ見てない」とのことなので、今回は叔母が大活躍。大叔母は途中かなり疲れてしまい「もう私はなにもわからなくなってしまった」を繰り返すが、そこは頑張ってもらって立ち会ってもらった。本人と一緒にかなりのおしゃれ服(今のズボン生活でも着れそうな)や帽子(実は帽子好き)を半分ほど回収。施設の人が「ええ、まだこんなに着るの?」という顔をしていた。大叔母は上着だと迷わないようにかならずなかに着る白い半袖シャツを合わせてハンガーにかけてある人で(クリーニングを最後にした年まで書いてある)、アクセサリーも同じ色で合わせられるように分類してある人。そしてブランド品とかはないけどとてもセンスがいい。つくづくこの遺伝子は私にはないと思う。

写真アルバムも回収した(これは私の提案)。実は彼女は文部科学省の派遣で家庭科教員として欧州5カ国全部で研修したことがあるらしい。おしゃれな服を来て世界の名所で微笑むスタイルのよい美しい大叔母の姿(40代くらい?)に魅入られた。

私は彼女の亡き娘の著作(英文学者で私を本当に可愛がってくれた)を引き取り、捨てられる寸前のアクセサリーでは祖母からの贈り物ペンダントと私のイギリス土産のブローチ(!)などを頂いた。

荷物は全て台車で運んでもらい、大叔母は食堂で食事。父は用事があるとかで帰る。その間に叔母と私はのんびりしようと思ったが、衣類はすべて名前を書かなければ行けないことに気づき(前々回叔母とした作業であった)、愕然としつつも二人ですごい勢いで大量の洋服のタグにマジックで名前書く(帽子にはつけ忘れたが、まあこれは今度かな)。その間に持って来たおにぎりや焼売を食べる。叔母が持ってるペンがフリクションペンだったが叔母はその機能を知らなかったことが判明したので教えてあげる。

作業終了し、大叔母が戻ってこないので見に行くと食事は終わり疲れた彼女はテーブルに突っ伏して寝ている。焼売(来る直前に成城石井で購入 もともと大叔母のために買ったもの)を小さく切って私が食べる振りをしつつ「食べる?」と言うと「食べたいわ」と言うので、焼売半分程度の量を渡すと美味しそうに満足そうに食べる(以前、食堂の食事がまずいというので「なにが食べたいの?」と聞くと「トンカツ、切り身の魚、マグロの刺身」と言うので「焼売は?」と聞くと「それもいいわね」と言ったことを踏まえて)。 ただし、ちょっと固めだったことを謝ると「崎陽軒の焼売は柔らかいわよね」とハードルが高くなる。(トンカツは「まい泉のトンカツサンドがいいかもね」と叔母とあとで話す。)

部屋のベッドに戻ると大叔母は叔母と色々話をする。すっかり「叔母と姪の会話」モードで生き生きとした様子で「あなたの誕生日は天皇誕生日だったわね」「叔母ちゃまと私は二人とも12月生まれで20歳違うからすぐにお互いの年がわかるのよね」と話している。一緒に過ごした時間が私とは比べ物にならないほど長い二人であることを痛感する。「□□おばちゃまに比べると私なんてどこの男の子の悪ガキが来たって感じでしょう?」と大叔母に言うと「そうね〜、比べるとね〜」と肯定されてしまう。

叔母は世話をしている姑が104歳(!)でまだしっかりしてるけど耳が遠いので、つい癖でお年寄りを見ると耳元で大声で話すので、午前中は父や私に「おばちゃま聞こえてるからね」と言われ、苦笑いだったけど、最後のほうでは普通の音量になっていた。

帰りのタクシーで叔母と話すが、大叔母は本人にも予測つかない形で色々な機能が急激に失われたし、もともと完璧主義だから、今はできないことに失望感や絶望感が強くて後ろ向きだけど、それを基準に回収物を選ばなくて良かったこと(その意味では本にがいらないといったものの、文学全集を回収できなかったことは悔やまれる)。まだまだしっかりしている人だから、今の状況を受け入れて生活を楽しむ余裕が出てくることも十分あるから、そのときには慣れ親しんだ物があったら違うだろうとか色々と話した。

大叔母93歳の持ち物整理した、父77歳、叔母73歳、私51歳。

みな自分の断捨離のことも考えた一日だった。