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世を越える救い☆

ハレルヤ!

皆さまおはようございます(^-^)

早いもので今日で3月も終了ですね。

この3ヶ月間、日々朝のディボーションによる主の分かち合いから始まり、仕事から、父のことから、教会の新会堂関係やセル関係、諸々のオイコス関係、コンサート関係など、「主と人に仕えるライフスタイル」が守られていますのは、

ひとえに主の導きと皆さまのお祈りと励ましのおかげであり、感謝を申し上げます(^-^)

時折、ディボーションの感想をいただいたりするのですが、こんな時、改めて、「あっ!きちんと読んで御声を聴いてくださっている人がいてくれてるんだ!」と認識させられ励ましを受けています(^-^)

さて、今日のディボーション箇所はイエス様が十字架につけられているシーンからです。

今日も御言葉から主の御声を聴いて行きます。

ディボーション・ ルカ23章25節〜38節

御言葉・35節〜37節

●民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」(35節)

●兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、(36節)

●「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言った。(37節)

分かち合い

イエス様が理不尽きわまりない形で、十字架につけられた時、

●「父よ。彼らの罪をお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ23章34節)

と祈りを捧げてくださってますが、

すべてにおいて「聖い思いと正しい行いを全うし、人々への愛に溢れている方」が、

「汚れた考えと的外れな行い、自分の興味や必要にしか関心がない」私たちのことをそれでも愛してくださり、

本来、「義の神様からこのような裁きを受けるのは私たちの側」であるのにも関わらず、

「神様は御子イエスを世に派遣」し、

「イエス様はその御心を受け取り、私たちの罪の裁きの身代わりになり」、「彼らはそんな自分が分からないから」という理由で「罪の赦し(救い)を祈って」くださいました。

第1ヨハネ4章9節〜10節

●神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。(9節)

●私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(10節)

と書いてある通りです。

御言葉より

傍観者

イエス様はそんな祈りをしている最中、

●民衆はそばに立って眺めていますが、

アダムがエバのそばにいながら、罪を犯すのを眺めていたのと一緒です。

この民衆もまた、私たちであり、イエス様を十字架にかけるのに加担している者です。

先程のイエス様の祈りはそんな私たちの罪のためでありました。

それぞれの立場上の救い

指導者とはユダヤ教の指導者のことです。

●神のキリストで、選ばれた者なら自分を救ってみろ!

と言ってますが、

ここでは何を持っての救いかと言えばいわゆる「宗教の救い」でしょうか。

お前は今十字架にかけられるような災いにあっているではないか!

お前が本当に神様から選ばれたのなら、そんな目に会うわけがないだろ!と言ってます。

どんな宗教を持っても世にいる以上、災いから逃れることは出来ません。

キリスト教然りです。

問題は、災いを受け入れる一人一人の魂がどうあるかです。

また、兵士たちが、

ユダヤ人の王なら、自分を救え!

と言ってます。

これは、「政治力を使った自分の救い」と、

「自分の身を武力によって守らせる救い」のことを言っています。

つまり、

●お前がユダヤの王ならば、自分の不正をごまかして刑罰を逃れるようにどうにでも出来るだろ!

と言ってます。

また、

お前がユダヤの王なら、お前を守る家来たちはどこ行った!

と言ってます。

これらの救いは世のやり方で、絶対ではなく、過ぎ去るものですし、

この世の枠組みで人が考えた救いでは本当の意味の救いにはなりませんね!

本当の救い

では、本当の救いとは、何か?

十字架にかけられた犯罪人のひとりが言った、

●「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。(ルカ23章40節)

●われわれは、自分のした報いを受けているのだからあたりまえだ。だが、この方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(41節)

そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(42節)

●イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(43節)

救い第一号の人の態度

この犯罪人は、

?神をおそれる態度

?「自分が罪人」であり、神から罰を受けて当然だ!とする態度。

?イエスが神にあって正しい者で、「救い主」だと信じ、「救いを求める」態度。

を持って、十字架にかけられるほどの罪の重さでしたが、天の御国への救い第一号となりました(^-^)

このイエス様に信頼を置いて、日々この身体、心、魂を委ねて行こう(^-^)

では、今日はこの辺で(^-^)

今日も皆さまの上に主の恵みのシャワーが降り注ぎますように☆